空想的共同体主義

おじさんの見分け方 | 女子リベ 安原宏美--編集者のブログ

よくわからないが、人間って「共同体」があるから楽しく生きてたわけじゃないと思う。逆にその共同体によって苦しんでいたりしてませんでしたっけ?その共同体がもってるいわれのない差別や排他性に。そしてそれがうざかったんじゃない?
(略)
私が何が嫌いって、今この日本に蔓延しているミョーチキリンな昔はよかった『ノスタルジー』である。なんか「ノスタルジックナショナリズム」ってかんじがします。今われわれ。



僕も同感。「三丁目の夕日」シンドロームというやつですか。


上のエントリにも引用されている産経新聞の記事の様な、「世話好きのおばさん」や「ご隠居さん」の話って、子供の安全の絡みの話でよく出てくるね。で、その後は大概「世話好きのおばさんが声を掛けてくれた、地域共同体が残っていた昔はよかった、地域の結束が必要だ」という話になる。


でも、「子供に声を掛けたり面倒を見てくれる」というシチュエーションでのみ抽出するから、その人達は「世話好きのおばさん」や「ご隠居さん」になるけれども、他の多くの場面においては、彼達は「ウザイおばさん」であり「口うるさい老人」であったのではないだろうか。
昔、姉も適齢期っぽい年になった時に、近所の「世話好きのおばさん」から色々とお見合い相手を紹介されていた。はっきりと拒絶するのも波風が立つからしにくくて、姉も相当ウザイ思いをしていたみたいだった。


で、その「世話好きのおばさん」は、ニートとかフリーターをしている他所の息子さんのことを、「○○さんの息子さん、まだ就職していないみたいなのよ、大丈夫なのかしらねぇ。」とか余計な噂話をしたりしているんだよ、きっと。ああウザイ。


それは「昔は良かった」「地域共同体は大切だ」という話になるよ。そういったシチュエーションの中でしか「昔」「地域共同体」を思い出さないんだから。
別に「地域共同体」の大切さを幾らでも唱えてもらうのは構わないけど、ある一面のシチュエーションのみ取り出して、「地域共同体」をさも失われた素晴しい世界の様に持ち出すのは止めて欲しいと僕も思う。不快感が多々存在する世界であることを踏まえて、それでも「地域共同体」が必要だと言うんであれば、文句はないんですけどね。


何か、この地域共同体復活論って、対象が原始共産社会から近代地域共同体社会に変わった、一種のユートピア思想の様な気も少しします。これから「空想的共同体主義」とでも呼ぼうかな。