とりあえず使役動詞を使って主張して欲しい

いくつかの記事の抜粋とメモ。

真のエリートの条件は2つあって、ひとつは芸術や文学など幅広い教養を身に付けて大局観で物事を判断することができる。もうひとつは、いざというときに祖国のために命をささげる覚悟があることと言っている。
そういう真のエリートを育てる教育をしなければならない。(稲田朋美衆院議員)



稲田朋美議員の産経新聞の6月3日の主張。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=552019556&tid=lw9qbfc0bcrbb2grldbj&sid=552019556&mid=159072

国のために命を捧げた人々が感謝も敬意も払われず、まるで犬死にのように扱われ、または忘れ去られるようでは、一体誰が国のために血を流して戦うのかという問題なのである。

他国の侵略に対してわが国は、血を流してでも守る覚悟であることを内外に表明することである。

首相が靖国に参拝することの意味は「不戦の誓い」だけではない。「他国の侵略には屈しない」「祖国が危機に直面すれば後に続く」という意思の表明であり、日本が本当の意味での国であることの表明なのである。



小倉秀夫さんの記事。
若者に「命をささげ」させる前に: la_causette

日本が現在おかれている困難の多くが多分に経済的なものであることを考えると、(中略)若者に対して「いざというときに祖国のために命をささげる覚悟があること」を要求する人々は、その前に、例えば、遺産の大部分を国庫に寄贈する旨の遺言書を作成しようと国会議員や財界人等の富裕者層に要求したり、議員報酬や役員報酬等の収入がそれなりにある高齢者に対して年金の受給を辞退して頂くよう求めたりするのが先なのではないかという気がしなくもありません。



激高老人こと作田啓一さんのブログ。
愛国者が威張った時代: 激高老人のぶろぐ

いろんな人がいろんな場で、入れ替わり立ち替わって愛国者の役割を演じた。そして、この愛国者たちの大部分は戦場で死ななくても済む人たちだったのだ。

ところでこういう人たちは、他人に対してはお国への奉仕を要求しながら、自分たちは結構私利私欲を追求して恥じるところのない人たちなのである。そして仮に不幸にして戦争が起こった時、彼らは安全な場所にいながら若者たちに対してお国のために死ねと言う人たちであると、拙者は確信している。

一方「お国のために死ね」と煽った人たちのほとんどは無事に生き残った。彼らは結構「自分のために生き」ていたからである。



このいくつかの記事を並べたのは、特に意味はないというのは嘘で、稲田氏みたいな「祖国の為に血を流せ」という、いかにもな煽りが、僕には単純に不快だからです。(左の人だけど)チェ・ゲバラが言うんだったら、まだ煽られようもありますよ。でも、激高老人さんの言葉を借りれば、稲田氏達も結局「安全な場所にいる」人ですよね。なのに、口調はさも自分が戦っているような感じなんですよね。こういう人達は国家と一体化しているから、そういうものなんだと言われてしまえばそれまでですけど。


とりあえず、彼達には、自分自身は命を捧げないことが分かるように、使役動詞を使って主張して欲しいです。「一体誰が国のために若者に血を流させて戦わせるのか」「わが国は、若者に血を流させてでも守る覚悟」「祖国が危機に直面すれば、若者に後に続かせる」。実は安倍さんも「闘う政治家」ではなく「若者に闘わせる政治家」だったりして。いや「若者に農業させる政治家」かな?