雨ニモアテズとはあちゅう主義

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070712-00000047-san-l38
何か、甘やかされて育って、苦労をしないから、こんな現代っ子が生まれたといいたいばかりの文章だなあ。この手の若者観の裏に、奉仕活動強制論とかトイレ掃除に学ぶ会とかがある様な気がする。


で、これを読んだ時に、例のはあちゅうの文章をふと思い出したんですよね。何か似てるなと。
http://blog.livedoor.jp/springflavor122/archives/50165246.html

生きるのに苦労してないからそんな質問出てくんだろうね。

そういう低レベルなことをぼやいてる奴らをまとめて、カルカッタマザーハウスとかルワンダとかに全員ボランティアに行かせるべきだと思った

日本人がこのまま軟弱化して、「みんなで楽に適当に生きましょう」ってなったら、国は滅びることだけは確か。
そもそも、向上心があるのが人間なのに。



駄目さを「苦労の欠如」「軟弱」に結びつけ、苦労という負荷をかければ、人間が成長すると結論付ける。なんか筋トレみたい。筋トレ教育論。


でも、奨励されるこの手の苦労や貧しさって、そもそもどの程度人間を成長させるのかと僕は思う。僕の家は貧乏だったし、どちらかと言えば、同年代の中で僕は苦労したと言える方かもしれない。けど、かと言って、僕が人間的に素晴しいかどうかと言えば、全然と言っていいほど大した事ないわけで。僻みや妬みもかなり持っていたし。


羽賀研二が代表的かもしれないけど、若い時に苦労したが故に汚くなってしまう人間も、当たり前だけどいるしね。「苦労が人間を成長させる」という物言いには、僕は少し違和感を感じるなあ。そう思う人がいてもいいと思うけれど、それを安易に教育論に持ち込むのはもっと慎重になって欲しいと思う。教育再生会議の議論見ていたら、安易な教育論ばかりだけれど…。