「甘え」を批判される不公平

裕福でないと大学にいけないという幻想 - odz buffer

正直な話、大学にいけないのを親の収入のせいにするのはそれこそ甘えだろう。国公立大学には授業料減免制度もあるし、有利子でよければ日本学生支援機構の第二種奨学金は最大で月額10万円あるわけで、学業に支障をきたさない程度のアルバイトで修学できる。奨学金の成績基準も普通に勉強していれば問題ない程度。



上の文章を読んで感じたことを。ちょっと苦労&貧乏自慢が入りますが…。


僕もid:odzさんと似た様な境遇で、姉と兄は大学進学を諦めていて、僕だけが大学に行かせて貰っており、奨学金で学費を払っていました。進学の際にも就職の際にも、片親の母からの有形無形の圧力がかかりまくり、結局は進学先は地元の学費が一番安いと思われる国公立大学、就職先も(親の面倒を見やすい)地方公務員を選択しました。


もちろん、その人生を選んだのは自分なので自己責任なわけですが、人生の選択肢が少ないというのは、基本的に気持ちいいことではないので、当時は色々と愚痴を言っていました。そうすると、家族から僕は批判されるわけです。「お前は甘えている」「お前は我侭だ」と。


当時の僕は、その批判に納得できず、何か理不尽なものを感じた記憶があります。というのも、どうしても自分の境遇と友人と比べてしまい、仕送りを受けたり、もっと親から色々としてもらっている友人の方が甘えていて我侭なはずなのに、何で自費で大学を行っている僕の方が「甘えている」とか「我侭」だとか言われないといけないのかと思ったからでした。我侭と批判されるとするなら彼ら(友人達)の方だろうと。まあ僻みと言ってしまえばそれまでですが。


結局、「甘えている」とか「我侭」というのは、その人の欲望の大小で判断されるのではなくて、その人に期待されている振舞いに照らして判断されるのであって、その事に当時の僕は気付いていなかったのだと思います。僕は、大学に行かせて貰える事に対して家族に感謝するという振舞いを期待されていて(大学進学を断念した姉や兄からすればそうでしょう)、その僕が「色々と愚痴を言う」という期待からかなり外れる行動をするので、「我侭」で「甘えている」と非難されることになってしまったわけです。


これは、id:good2ndさんのホームレスに関する記事を読んだ時に感じた事でもありました。ホームレスの人達が要求する水準は、僕たちの生活水準からするとささやかなものでしかない。でも、僕達は、彼達にもっと従順な行動をする(税金で養われている事を自覚し、唯々諾々とシェルター等の施設に入って「更生」する)ことを期待していて、その期待から外れているから、ホームレスの人達は我侭だ、甘えていると批判したくなってしまう。


頑張っておられているid:odzさんが、「親の収入のせいにするのはそれこそ甘え」と言いたくなる気持ちもわからなくもないです。でも、そもそも裕福な人達がそういった学業の断念等について悩まなくて済んでいるのに、貧乏な人達が「甘え」だと批判されるのは、やっぱり納得しきれない気分が残ります。貧乏は生きていく上で不利だと百も承知ですが、精神論的なところでも不公平なのは、釈然としないんですよね。