「フリーター」・「ニート」・説教くささ

http://d.hatena.ne.jp/border68/20051217
http://d.hatena.ne.jp/kmizusawa/20051223/p1


僕は、4〜5年前にフリーター問題について調べる機会があって、色々と資料を取り寄せたり、若年者と接している現場の人に話を聞きに行ったりしたことがあった。


当時から、「フリーターを放って置くと、(彼らは収入が少ないから)税金の収入減になる、年金制度の維持が困難になる」とかいう問題点は指摘されていたし、id:kmizusawaさんが言うような、「労働力かつ税金や年金の供給源」として若者を見る視点というのは、昔からのものだと思うけれど、当時はまだそんなに若者に対して批判的というか、説教くさくなかった印象がある。


確かに、当時も「ちゃんと定職にもつかんフリーターはけしからん、働く事に対する意識がなっとらん」的な馬鹿オヤジの説教的言説はあった。けれど、そういった説教に対しては、「かく言うお前が就職した時は、そんな大層な職業意識を持っていたのかよ」「バブルの時とかは、もっと低レベルの意識でも就職できていただろ」といった、極めて真っ当な反論が効を奏していた気がする。


オヤジ世代もバブル世代も、「高校(大学)を卒業するから就職するか」的な低レベルの職業意識しか持ってなかったわけで、僕はレポートをまとめたついでに、偉い人相手にプレゼンもしたけど、その反応も「そうだなあ、僕の若い時も殆ど大した事も考えずに就職していたものなあ」といったものだった。


当時に比べて、最近「人間力」とか色々説教くさくなったのは、結局は就職意欲がなく働かない若者を指す「ニート」という言葉が市民権を得てしまったからだと思うな。ろくな職業意識を持っていなかった社会(オヤジ連中)の人達も、一応就職する意欲はあったし働いてはいるので、気兼ねなく説教できるし、心置きなく批判できるからね。


また、僕がフリーター問題について調べていた時は、フリーター問題はあくまで若者の「働き方」の問題であって、例えば、引きこもりとセットに語られる様な事は殆どなかったけど、「ニート」という言葉が出てきたおかげで、「フリーター・ニート・引きこもり」がワンセットで語られている機会が増えているようにも感じる。
そもそも若者の「働き方」の問題である「フリーター問題」が、「ニート」という言葉に引っ張られて、若者の「生き方」の問題に誤導されてしまっているんじゃないかという気がする。


そういった意味で、id:border68さんが紹介されている内藤朝雄さんと本田由紀さんの対談の中で、

本来、景気の動向や産業構造の変化などによって、割を食った人たち、――例えば、フリーターやニートの半分くらいの人たちはそうでしょう――を、経済の領域で救済すべきなのに、あたかも教育問題にとりくむことによって救済可能であるかのごとき幻想的な論調が支配的になってきました

と指摘されているのは、「ニート」という言葉がない時期に、働き方(経済の領域)の問題としてフリーター問題を調べていた者としては、本当にそのとおりだと思います。納得。