「東京都に抗議する!」に署名してきました



http://www.cablenet.ne.jp/~mming/against_GFB.html


上野千鶴子さんが国分寺市「人権に関する講座」の講師を拒否された件について。あまりに東京都がアホらし過ぎるので、抗議文に署名してきました。


しかし、僕個人の意見としては、「上野千鶴子さんが講師を拒否された」ということを大きく問題として取り扱うことについては少し違和感がある。あまりに表層的というか…。


僕は、この事業が、都が(委託せずに)自分達で実施していれば、どうなっていたのだろうかと思う。おそらく「上野千鶴子ジェンダーフリー論者だから駄目」という認識が都庁内に共有され、彼女は講師の対象の候補に挙がることもなかったはずである。人権講座にふさわしいと思われる講師などいくらでもいる。そして、僕達は、今回の事件で明らかになった東京都の涙が出るような御粗末なアナクロっぷりを知ることもなかっただろう。


そもそも、都は(自分達の事業において)上野千鶴子さんに語らせないとの意志を持っていた。今回は国分寺市が空気を読まず講師に依頼したから、その機会をつぶしただけの話だ。「予定されていた発言の機会が奪われる」というのと、「そもそも発言の機会を与えない」というのとでは、「上野千鶴子さんに語らせない」という点において、一体どの程度の違いがあるというのだろうか。


何故、こんなことを気にするかというと、この事業の詳しい内容がわからないからあれだけど、次から、こういう様なパターンになりそうな感じがありありだからである。

  • 市区町村に委託すると誰を講師に選ぶか判らないので、都が直接実施する。
  • 市区町村に委託するのであれば、その際に、講師の選定についてそれとなく「配慮」する様に念を押す。担当者の説明会等の場でもいいし、電話でもいい(文書で残らなければ)。



都の担当者は、今回の件についておそらく「失敗した」と認識し、反省しているだろう。しかし、彼らはおそらく「上野千鶴子さんを講師にしない」ことについては反省していない。反省しているのは「上野千鶴子さんを講師から外す羽目になった」ことについてである。それなら、上野千鶴子さんを最初から選ばれない様にすればいい。
僕は、抗議文に署名したけれども、この抗議が都の担当者の事なかれ主義を刺激して、彼らに小知恵を働かせるだけの結果に終わってしまわないかという危惧をどうしても持ってしまう。