否定したいことがよくわからない

id:bluefox014さんのところに南京事件についての件でコメントしたら、基本的なところで自分の頭の中がこんがらがってきたので、頭の整理の意味も兼ねて。


確信犯的に中国批判のツールとして使う人は別として、南京事件を否定したい人達が、中国が主張する30万人が犠牲になった「南京事件」を否定したいのか、1937年12月以降の南京占領時に日本軍が起こした残虐行為である「南京事件」を否定したいのか、時々根本的なところでよくわからなくなることがある。


というのも、否定論の多くを見ると、中国の主張する30万人説を持ち出して「中国の捏造、でっち上げ」と批判するのにあわせて、さも南京占領時に日本軍が残虐行為を行わなかったか、あるいは小規模の虐殺だったかの様に思われる主張をしている様に見えるからだ。
2006-01-27
http://blog.yoshiko-sakurai.jp/archives/profile/message/cat28/
(「被害者は10数万人だと思われるから、中国の主張する30万人説は捏造だ」という論を僕は見たことがない。)


全くのマボロシであろうが、小規模の殺害を認める立場であろうが、大規模な残虐行為の存在を否定したいのなら、中国の30万人説を持ち出すだけでは足りなくて、従来の歴史学の通説、例えば笠原さんの研究・主張に批判を加えるべきだと思うのだけど、殆どそういった言説は見られない。歴史学では研究テーマを決めたら、とりあえず今までの先行研究を押さえておくのは、卒論レベルでも要求されるごくごく基本的なことなのに。


青狐さんのところでapesnotmonkeysさんからコメント頂いたように、おそらく意図的な行動なんだろうけど、批判の対象を中国の30万人説に絞る「意図」が僕にはよくわからない。「歴史の真実」とやらを本当に明らかにしたいなら、日本の肯定派の学者達をも論破しないといけないのと違うの?


その「意図」は、反中感情を持っている人達に南京事件否定論を認知させようということなのかなと思ったりもするのだけれど、結局は「歴史を捏造する中国」対「歴史の真実を知っている私達」の二項対立しかない世界の中での言説だから、彼らの中では、中国の主張を否定すれば、それで自説の正しさが証明されたことになっているだけなのかもしれないな。何かいろいろ考えるだけ無駄な気になってきた。