「自分は努力したから、お前達も努力すべきだ」的思考

時々見かける「自分は努力したから、お前達も努力すべきだ」という思考について。「お前達」にはニートやらワーキングプアやらホームレスが入るわけですが。


昨年、猿虎日記さんの記事で読んだけど、インリンがモロにそういう意識だなと思いました。
傘がない - 猿虎日記(さるとらにっき)

でも、この経験のおかげで、労働の大変さや、働くことでできる発見、努力が報われる喜びを知れたと思うんです。

一度どん底に落ちて這い上がった人は、”人間は努力しなきゃいけないんだ”と実感するし、その後もラクしようとは思わないんじゃないでしょうか。ニートも一度、どん底を味わうべき。砂漠やシベリアの奥地に放り込まれるもよし(笑)。とにかく、周りも彼らが努力しなきゃ生きていけない環境を作ってあげた方がいいです。



過去に苦労され(てその苦労が報われた)方が、「努力」を規範化するというか、重要視するあまり、努力していないように見える人達への視線が冷たくなるというパターンは結構ある様な気がします。


最近、面倒を見るために、母と同居するようになったのですが、母もインリンと似た様なことを言うんですよね。母も苦労人で、僕の父が早死にしたので、安月給の清掃業に従事しながら子供3人を育ててくれたのですが、その母も「努力すれば報われる」ということをよく言います。それで、ニートやホームレスの人達には非常に厳しい。理由を聞くと「私は頑張ったから、それなりに何とかなった。彼達がそういう状況なのは、そうなるだけの理由があるからだ。」と。


後、僕も昔似た様な気持ちをよく持ってました。家が貧乏だったので、大学にしろ就職にしろ色々制限があったのですが、周りの友達の行動を見ては結構イライラしてました。就職せずに自分探しをしている様な友達を見て、「俺はこれだけ苦労しているのに、お前は何だ」と思ったり。
僕があまりその様な意識を持たなくなったのも、生活にある程度余裕が出てきて、自分が苦労しているという認識がなくなってきてからの様な気がします。「自分は苦労している」と思っていると、やっぱり何処かで「僻み」みたいなものがあるんですよね…。