要求が満たされると次の要求がしたくなる件について



日本会議首都圏地方議員懇談会のブログから。


草莽崛起ーPRIDE OF JAPAN 国旗国歌が完全実施からかけ離れている卒業式の実態


卒業式の国旗掲揚・国歌斉唱の実施状況について。実施率の向上については評価しているものの、全員が歌っていないなどの状況があり、実態は完全実施からかけ離れている、といった内容の記事になっています。


記事の内容については基本的に賛同できないんですが、「声が出ていない」とか次に言いたくなる気持ちについては、何かよく分かるような気がします。「卒業式の国歌斉唱が実施された」だけでは満足できなくて、「国歌斉唱の際の声が小さい、歌っていない人がいる」ところに次は意識が向いてしまう。


僕は、上の記事を読んで、この件に関しては、「国歌斉唱の実施が定着したんだから、とりあえずそれで満足すればいいのに」と思ってしまうわけですが、多分それは単純に、熱意や関心の差なんでしょうね。
僕は、政治的立場も違うし、卒業式の国歌斉唱に対して余りというか殆ど熱意や関心がないから、上の様に思ってしまうわけだけど、国歌斉唱に熱意を持っていたり、「こうあるべきだ」という考えを持っている人であれば、やっぱり斉唱の場で声量とかが気になったり、色々と不満に感じたりするのは、当然のことなんだろうと思います。


逆に僕が関心・熱意がある話題であれば、「実態はまだかけ離れている」と言う様な主張を「その通りだ」と思って読んでいるだろうし。例として出しているのは右側の人のブログですけど、これは左側の人達でも全くそのまま当てはまる話なんだろうなと思った次第でした。