歴史的敏感さ〜7月1日のマル激から

7月1日のマル激は、「『過去の克服』のために今、日本がすべきこと」(佐藤健拓殖大学教授)がテーマだったが、非常に面白かったし、多くの示唆に富んでいたように思う。


その中で、ドイツ人と日本人のセンシビリティの違いの話題になって、佐藤氏が、ハンガリーの酒場でドイツ人の金持ちが、音楽を演奏するバンドに、ミュンヘンの唄を歌わせようとした時、ナチの親衛隊将校がやる事と同じではないかと、一緒にいたドイツの若者が眉を顰めていた、一方、聞いた話だが、日本人はソウルで日本語を話すオモニに対して、「日本語上手ですね、何処で習ったんですか」と問いかけていた、と話をされていた。


この様な、日本人の過去に関するセンシビリティ(歴史的敏感さ)のなさに関する似たような体験談は僕にもあって、昔、僕は日中の若者の交流事業に少しだけ関わったことがあるのだけど、その事前研修会みたいな席で、「中国の人たちと一緒に歌を歌いたいです。夜来香とか…」と発言した人がいた。
言うまでもなく、夜来香は満映のスターであった李香蘭の歌で、交流事業に来てくれた中国の若者に、過去の日本軍の侵略を想起させる可能性もある。日中の若者が一緒に歌うのに適切な歌ではない。
何気なく聞いていた僕は少し度肝を抜かれたし、同席していた中国人の講師も、「夜来香は止めた方がいいです」と少々真顔で忠告していた。


宮台真司氏は、「アメリカの後ろ盾があったおかげで、敗戦の後、日本人は国際社会に、一般的な人間として、受け入れられることにそれほど悲観的にならずに済んだ」と指摘していたが、アメリカの後ろ盾と早期に経済大国化したことが、日本人の歴史的敏感さの欠如の背景にあると僕も思うし、より直接的な問題としては、現代史の授業がほとんどなされないため、歴史的敏感さの基礎となる知識のインプットがされないという、教育面での問題もあるのだろうと思う。