使い捨ての死

http://d.hatena.ne.jp/kenkido/20051029
ある男性の死の話。


雇用等が流動化しているにも関わらず、再挑戦可能性が一向に担保されない今の日本では、死に至らないまでも、この様な境遇の人達が増えているのは想像するまでもなく明らかなことだろう。


僕は、小学生の時に父を亡くして、結構貧乏な生活の中、何とか大学に行って社会人になったせいか、機会の平等と再挑戦可能性の担保といった、第三の道的政治志向が強い方だけど、そうであるにも関わらず、男性の死に対して、社会や政府への批判より先に、(上記ブログで研幾堂さんが痛罵する様な)「社会ってそんなもんじゃないか」という感想を腹立たしげな感情と一緒に持ってしまったのは、9.11選挙で小泉自民党ネオリベ路線が圧勝したことに対しての、「そもそもその社会と現実を選んだのは僕達じゃないか」という苛立ちからだろうな。


「社会」や「現実」を持ち出して梯子外しに戯れる人達は、皮肉にも「社会」で「現実」に「梯子」が自分から外されていっていることに気付いていない。男性の様に落とされてから上がる梯子がないことに気付いても遅いのだ。