民主党の改革はプロレタリア革命みたいなもの?

出席された方のレポートとか。
民主党は、ある程度の大きさの政府を目指す――前原誠司代表と「民主党 ブロガーと前原代表との懇談会」レポート[絵文録ことのは]2005/11/01
民主党ブロガー懇談会速記録: R30::マーケティング社会時評


出席された方はすごく個別的な事に関心がおありだった様だけど、僕が関心があるのは、個別的なことよりも、民主党がどんな社会を目指すつもりなのかということで、マル激にでていたときも前原代表は、弱肉強食ではなくセーフティネットがちゃんとある社会という感じなことを言っていたけど、上のサイトを見ると、座談会でも同様の社会像を語っていたみたい。


しかしながら、そういった目指す社会像が、一般に伝わっているかといえば全然伝わっていなくて、むしろ小泉と改革競争している、よりラディカルな案を出そうとしている感じがして、民主党自民党の違いが見えにくい。猫も杓子も改革な今の状況では、ある程度は仕方ないのかもしれないけど。


民主党に必要なのは、小泉改革と主張することが一緒でも、ネオリベ小泉改革とは、目指す社会の方向性が違うことをもっとアピールすることだと思う。
例えが悪いかもしれないけど、民主党の改革はプロレタリア革命みたいなもので、時代遅れの日本的再配分システムはもはや維持できないから、小泉改革ブルジョワ革命)には賛成するところは賛成する、しかし小泉改革だけでは矛盾(格差)が拡大し全てが達成されないから、民主党が政権を取って格差是正や機会の平等の確保などの改革を行う(プロレタリア革命)、そしてそちらの改革の方は、自民党ネオリベ路線では絶対無理だと、そういった展望なり自民党との違いなりを、もっと伝えていく必要があるのではないかと思う。
改革の早さ・過激さではなくて、改革後の社会の在り方で差異化していかないと。


小沢一郎氏との関係もブロガーの方々の関心の一つだった様で、上のブログでは絵文録ことのはさんが、「自己責任の原則に基づく自由で公正な社会の実現」という小沢氏(旧自由党)と民主党の理念はあわないのではないかと指摘されていたけれど、僕は上記の言葉だけで判断するなら、小沢氏の考えは民主党の立場と基本的に矛盾していない様に感じた。


前原代表や僕みたいに父を早くに亡くしてしまった人、事故で障害を負ってしまった人など、本人の責任がないところでハンデを負っている人はたくさんいる。小泉ネオリベ改革が小さい政府の名のもとに、この人達への手助けを減らしていくとするならば、それは自己責任の原則でも公正でもなくて、単なる弱肉強食の原則に過ぎない。


自己責任の原則というのは、能天気な小さな政府論=弱肉強食の原則とは違って、自分が自分の行動に責任を取るためには、参入可能性が閉ざされていてそもそも行動をとる場を与えられていない人達には、その場を提供しないといけないし、本人の努力ではどうしようもないところでハンデを持ってしまった人達には、セーフティネットを張ってあげて、他の人と同じ舞台で競争できるようにしないといけない。


その様な「機会の平等」が「自己責任の原則」の前提にあると思うし、小沢氏も(公正という言葉をあわせて使っていることからも)その事を踏まえた上で、「自己責任」を主張されているのだと思うけれど、それについては「チャンスがほしいけれどもないような人たちに対してはチャンスを与える」と、前原代表も同じことを言っているしね。僕はそんなに大差ないと思います。