僕達も共犯ではなかったのか

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http://d.hatena.ne.jp/kmizusawa/20051121/p3
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かの宮崎勤氏の部屋の映像で印象操作が行われていたという話。普通のアニメや雑誌が大半であったのにも関わらず、若奥様のなんたらかんたらという漫画を一番上において撮影してしまったために、彼の部屋全てがその様な漫画やビデオで占められているとの誤解を与えてしまったというもの。当然ながら、この話題については、印象操作を行ったマスコミ批判の声が非常に多い。この様な映像のせいで、オタクバッシングが起こったんだという主張も見られる。


僕が、この話を聞いて思い出すのは、宮台真司さんが言っていた帰属処理と切断操作の話だ。何か訳のわからない事件が起こり不安になった時に、「こいつ」「こいつら」が悪いんだと是が非でも何かのせいにするのが帰属処理で、この「こいつら」は普通の生活を送っている僕達とは違うんだと、自分とは無関係な地平に押し込めて安心するのが切断操作


この宮崎勤氏の件は、帰属処理と切断操作が行われた典型的な例だったと思う。幼女を連続殺害する猟奇的な事件に不安になった「僕達」(=社会の大多数)が、「この事件は訳のわからない嗜好をもつオタクが起こしたんだ」と帰属処理を行い、「この様なオタクは普通の生活をしている一般の僕達とは違う」と切断操作を行って安心する。


僕は、この様な読売ウィークリーの人が漏らした様な事が仮になかったとしても、いずれこの事件は、オタク趣味のせいにされ、オタクの人達に対するバッシングが起こっていたと思う。この事件に対して、帰属処理や切断操作を行うことにより安心したかったのは、何よりも「僕達」だったわけだから。
結局は、宮台さんの言葉を借りれば、「どこの国でもメディアが帰属処理と切断操作を提供するのは変わらない」わけだから、どこかの週刊誌なり、テレビなり、新聞なりが、「僕達」が安心できる、気持ちのいい主張を流し、「僕達」はそれに飛びつき、その言説がポピュラリティーを獲得していただろう。マスコミと「僕達」は共犯だったのだ。


この件に限らず、マスゴミと評するマスコミ批判というのはよくネットでも見かけるけど、それもまた、(短絡的にどこかの)「マスコミが悪いんだ」と帰属処理を行って、「ネット(=自分達)は違うんだ、ネットには真実があるんだ」と切断操作を行っているのではないかという様な気がしないでもない。帰属処理や切断操作の概念の使い方が間違っているかもしれないけど。マスコミは批判されて然るべきだけど、僕達の側にも自戒が必要ということなのかも。