歴史修正主義の余地を狭めるために

2005-12-30のコメント欄から。

# sean97 『…「一般市民」よりはそこそこモノも読んでいるだろう僕ですらそうなのですから、一般市民が「南京大虐殺なんてどうせ幻想なんだろ?」とか、「37年以後、南京の人口ってかえって増えたみたいじゃねえか」とか、「声の大きい人」の意見を信じてしまうのも、しかたのない状況なのかもしれない、と思っています。


これを解消するには、やはり「研究の最先端」に身を置く方々に、より多くの情報を、しかもできれば紀要論文なんかではなく一般紙などによって啓蒙していくとか、あるいはbluefox014さんのようにブログで発信していくとか、そういう地道な努力以外に道はないのでしょう。』



年末頃に、僕の母校の助教授が、新聞のインタビューに答えているのを見た。その中で先生は、史料を軽く扱う最近の風潮について憂慮されていたけど、おそらくその「史料を軽く扱う風潮」というのは、つくる会に代表される歴史修正主義のことを指しているのだと思う。


僕も、つくる会的な動きによって史実が軽く扱われることに、「僕が大学で学んだ歴史学はこんなに軽い(無力な)学問だったのか」という寂しさを覚えるし、この様な歴史修正主義が幅を利かす余地というものが出来る限り狭まって欲しいと強く願う。


その様な観点から、前に書いた記事で、高校の歴史の授業で実際の史料に触れてみる機会、歴史学的な手法に触れておく機会を作っておくべきだと書いたけど、それに併せて、id:sean97さんが主張するように、歴史学者達が、歴史修正主義者の主張に対して(彼らの言い分が学術的な批判に到底耐え得ないことについて)、もっと声を上げるべきではないかと思う。


もちろん南京関連とかでも、笠原さんとか色々と頑張っておられているけど、見てて不毛な泥仕合に巻き込まれている印象がどうしても拭えない。その様な個人的な対応ではなくて、歴史修正主義を跋扈させていると、結局は歴史学そのものが大きな不利益を被ることに繋がるという問題意識をもって、歴史学界全体としてもっと積極的な対応をとれないものだろうかと思う。(もしかすると、何かしらのアピール程度の事はされているのかもしれないけど、一般人のレベルにはその様な行動や主張は全く伝わっていない。)


僕は、年1回母校に勤め先の就職関係でOBとして訪問して、ゼミの教授に入社資料を渡して雑談する機会があるので、次訪問した時に、教授に世間話的に話を振ってみようかな。僕が言った所で、おそらく全く何の効果もないだろうけど。
本当は、本ブログでも色々と発信できたらいいんだけど、専攻はアメリカ史だったし、日中戦争については、青狐さんには及びもつかない、通り一遍の概説書・新書レベルの知識しかないからねぇ…。