東京脳と農村の役割

ちょうど余丁町散人氏の記事http://homepage.mac.com/naoyuki_hashimoto/iblog/C1310380191/E20060110214546/index.html
はてなブックマークでも叩かれまくっている最中だけど、今週のマル激でも、丁度同じ様な話題について、宮台真司さんがコメントしていた。

人一人にあたり国がサポートする額を同じにするいうことだったら、地方に道路は出来ないし、トンネルや鉄橋も出来ない。「便益を享受したいんだったらわざわざ変なところに住んでないで、都会に出て来いよ」という話で終わってしまう。しかし、それで国土を保全するという行政上の課題が達成できるかというと全然出来ない。



僕が、余丁町散人氏の記事を読んで、根本的に違和感を感じたところは、「なんで人はあんな不便なところに生活し続けたのか? もちろんコメの生産地であったからだ。」「ところが、現在では状況が一変している。」「山村に住む人たちは、日本経済にいまや何ら積極的な価値を提供していない。」といったくだりの部分だ。
余丁町散人氏は、農村の役割を「コメの生産」=農業としか考えていないみたいだけど、これは非常に御粗末な話で、農村や山林は水源の涵養など、他にも重要な価値をいくつも有しているというのは、少なくとも行政レベルでは当然の前提。


http://www.maff.go.jp/soshiki/kambou/joutai/onepoint/public/ta_m.html



非経済的とか効率性云々言うのだったら、農村や山林の保全によって都市住民も含めた国民全体が利益を受けていることを踏まえた上で言って欲しいし、そんな事もわからずに言っておられているのだったら、それこそはてなブックマークで揶揄されている様に、本当に視野の狭い「東京脳」だと思う。確信犯的に煽っておられているみたいな感じだから、承知の上のことなのかもしれないけど。