滋賀長浜の2園児刺殺事件について



http://brotherjin.exblog.jp/3217240/

しかし、今回の事件ではみな判で押したように本名の中国名で報じている。僕は何もこの容疑者が中国籍だったということを隠せと言っているのではない。しかし、これまでの実例を考えれば、彼女が日常で使用していたはずの日本名を優先して「日本名(本名・中国名)容疑者」と報じ、その後は「日本名容疑者」で通すのが首尾一貫とした態度ではなかろうか、と思うのだ。



滋賀長浜の刺殺事件での中国名報道の件についての、brotherjinさんの「ああ、中国人だから」と理解することで、安心感を得たいためではないかという指摘。


ただ、報道を色々と見ていると、「中国名報道が安心感を得たい為」というのはそのとおりなんだろうけれど、「中国人だから犯罪を犯した」としたいのは一部の人で、多数の人は「中国人女性が日本に嫁いで、言葉が不自由な、孤独な生活の中で子育てに悩んで犯罪を犯した」という動機の説明で安心感を得たいということなのだろうなと思った。


この様な事件が起こった時に、マスコミ含め僕達は、一番納得し理解しやすい「動機の語彙」をあてはめるわけで、今回は、それは「言葉の不自由さ」「疎外感」「子育ての悩み」だった。この動機を説明するのに、日本名の通称で「谷口容疑者は言葉は不自由で疎外感を抱いており…」と説明していては意味が通じにくい。


今回、リベラルな朝日新聞を含めて本名の中国名で報道がされているというのも、そういった意味で、単に中国名にしないと、記事が書きにくいということなんじゃないだろうか。僕は報道関係者じゃないので推測でしかないけど。