彼女のブログに気が付くってもしかして不幸なことかも

我が街にも先週ぐらいから、「ホテル・ルワンダ」が上映されているので、本日妻と一緒に映画館へ。


見に行く前は、非常に社会派的なイメージが強い印象だったけど、人間ドラマとしてだけではなく、主人公の家族を含めた避難民が助かるか助からないかというサスペンスの映画としても良く出来ていたように思う。


そこで、映画の感想を書こうとして、パンフレットに寄稿されていたid:TomoMachiさんのブログを見て、非常に哀しくなるブログを発見。


偉大なる扇動者・町山智浩御大と「ホテル・ルワンダ」と虐殺を考えるブログ:町山智浩という人間がいた。 - livedoor Blog(ブログ)


上記ブログへの記事への内容に対しての、町山さんの反論。
2006-02-25

このルワンダの事件を、遠いアフリカの出来事として観ても意味がない。
虐殺は、どこの国でも起こってきたし、これからも起こり得ることであって、
私たちは誰でも、人を差別して迫害する、虐殺の種を秘めているんだということを自覚し、
ルワンダみたいな状況になった時、ポールさんのように行動できる人間にならなければ。



この映画では、冒頭でフツ族ツチ族を非難するラジオの音声が流れてくるけど、僕がその時思ったことは、「これに似た様な言葉に、僕はそれこそ毎日の様にネットで出会っているな」ということだった。
その様な「やつら」への差別と憎悪が、ルワンダの巨大な悲劇をもたらしたわけで、その様な悲劇の種は、町山さんの言うとおり、いくらでも日本に転がっているし、それこそ数が増えているようにも思う。


上記ブログ主の彼女は、町山さんへの中傷を書いている自分のブログが、「ホテル・ルワンダ」の中で幾度と繰り返し流れているラジオの音声と同じなのではないか、自分はもしかするとグレゴワールなのではないかと思うには至らなかったのだろうか。


町山さんが、映画やアートの無力さを痛感されていたけど、彼女のブログを見ていると、僕も本当にそのとおりだと感じた。特に、映画の余韻が残っているうちに、彼女のブログを見てしまったのでなおさら。映画の余韻が台無し。まさに映画を見た数時間後に、彼女のブログに気が付くってもしかして不幸なことかもというオチでした。