学界の周縁で反動を叫ぶ

宮台真司さんの、つくる会やアンチ・ジェンフリなどの「バックラッシュ」に関する分析。
http://www.miyadai.com/index.php?itemid=335


宮台さん曰く、日本的な「インテリ・亜インテリ・大衆」の構造の中で、ルサンチマンを持つ亜インテリが、代替的な地位獲得を目指して政治権力者や経済権力者と結託し、リベラル・バッシングによってアカデミック・ハイアラーキーの頂点を叩くことにより、戦後のインテリの頂点であった丸山真男の影響力を台無しにさせ、今また「流動性不安」と絡んで、ジェンフリ外交問題等で、リベラルなものに対してバックラッシュを起こしているとのこと。


宮台さんは、「何の怒りもありません」と言っているけど、「亜インテリ」を語る際の表現がどきつくて笑ってしまう。「亜インテリとは、論壇誌を読んだり政治談義に耽ったりするのを好む割には、高学歴ではなく低学歴、ないしアカデミック・ハイラーキーの低層に位置する者」、「ウダツの上がらぬ知的階層の底辺」、「国士館大学教授・蓑田胸喜的なルサンチマン」、「『諸君』『正論』や「新しい歴史教科書をつくる会」に集うような三流学者ども」「彼らの出番は『諸君』『正論』的な心情倫理の競争だけ」…。


この「バックラッシュ」ネタで6月に本が出る見たいですね。面白そう。


宮台さんのこの文章は、読んでて痛快だったんだけど、これって僕が、自分を「リベラル」で「左派」だと思っているからだろうな。僕は、自分をリベラルだと思っているから、宮台さんの主張で言う「インテリ」に自分をなぞらえることができて、反動保守の人達や愛国ネチズンに「亜インテリ」のレッテルを貼って、自分の方が知的に上であるとの優越感を感じられるから、宮台さんの文章が心地よかったんじゃないかと思った。


こうした優越感って、愛国ネチズンの「先知先覚者」的な意識−「自虐史観に騙されている周りと違って、自分は歴史の真実を知っている」「マスコミの韓流ブームに煽られる大衆とは違って、自分は中国や韓国の真の姿に気付いている」−と大差ないのかもしれない。「亜インテリ」が「大衆」に優越感を感じるのと同様に、僕は、自分をリベラル=「インテリ」だと自認して、「亜インテリ」の人達に優越感を感じる。


僕は、愛国ネチズンの人達には常々批判的だけれど、結局立ち位置が違うだけで、僕もメンタリティーに大差がないのかもしれないな。自戒しなければ。