歴史への参入容易性

http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20040303さんの2004年3月3日の記事。

まあ、知らんけど、歴史的な態度ではあるかもね。でも、歴史学的な態度ではないよね。しかし、歴史学の素人の癖に、わかった口ききやがってさあ。こういう人は日本特有の問題かというとそうでもないらしいね。

たとえば社会史研究はどうしても専門家以外にはわかりにくいというのはある。…いや、待て、よく考えたら学問って普通そういうもんじゃん。



本当にいつも歴史学の研究成果と全く正反対の言論がそれこそ「歴史の真実」の様に語られたり、研究成果を踏まえてもいないのに、色々と歴史について知ったような御高説を仰る人達を見ることが多くて、(いい加減な学生だったけど)史学科卒の身として、「歴史学の軽さ」に脱力感を感じてしまう。


id:hokusyuさんの記事を読んで、そういった「歴史学の素人の癖にわかった口をきく」人達があまりにも多いのは、「歴史というものが判りやすい」からじゃないかと思った。これが現代思想だったり、専門でないとよく判らない分野の話だったりすると、わかった口をきく人もまだ少ないんだろうけど。


いつも本屋に行くと、歴史のコーナーに、誰とは言わないけど、歴史学者でない素人が書いた歴史本が平積みされているし。抽象的な難解な概念が頻出するわけではないから、それっぽい記録やら証言を引用して、歴史学もどきの本を書くのは、他学問のもどきの本を出すのに比べれば、非常に容易な事なんだろう。素人の歴史への参入容易性。


自分が学生だった時の事を思い起こすと、真面目な大学ということもあって、卒論書くのに本当に苦労した。単に今までの学説をまとめる様なレポートでは話にならず、自分なりの見解が求められて(そうでないと論文を書く意味がないと言われた)、ゼミの発表や卒論の中間発表では、教授達から容赦ない突っ込みがなされ、ようやく何とか卒論を書き上げたといった感じだった。自分なりの見解はそれなりに書いたつもりだけど、それも通説からほんの少しずれる程度ぐらいのものだったし。


僕が、歴史修正主義的なものが嫌いだったり、その手の文章を読んでイライラしたりするのは、政治的立ち位置の話というよりも、「歴史学の蓄積やそのための苦労も知らない素人が、いい加減な事や偉そうな事をグダグダと言うんじゃねーよ」という、史学科で卒論を書くのに苦労した者の妬みというか苛立ちなんだろうな。


歴史というのは判りやすいから、素人が容易に参入できて、また判りやすいが故に、それこそちょっと本を読んだり、ネットで調べたりした程度で、歴史について何か知った様な気になったり、脱素人的な意識を持ってしまったりして、皆さん色々と歴史について語りだすということなのだろうか。床屋談義はどの学問にもあるのだろうけど、歴史はそのなかでも本当に多いと思う。


こうした脱素人的な意識を持った素人が、(脱素人的意識があるが故に)歴史学の専門的な研究成果を無視し得た床屋談義的言論を主張して、そしてそれに触れた素人が、影響されこれまた脱素人的な意識を持ってしまう…。そういった事が本当にあるのなら、つくる会はボロボロとはいえ、歴史学の受難はまだまだ続きそうな感じがする。