「税金」が持ち出される背景

http://d.hatena.ne.jp/kmizusawa/20060323/p1

ああなんか、どういう類の文句が来たのか想像できるなあ。「税金で運営されている団体であり企画なのに偏ったことを主張するのはおかしい。中立な視点からの話を求める」とかいうのだろう。
(略)
自分が気に食わない思想を臭わせる発言はするな、自分がききたくないこと(や子どもに聞かせたくないこと)をきかせるな、知らせるな、そんな団体や活動に行政は金を出すな、支援するな、そんな活動するなってことだ。いやもうここは断言するけど。「税金」と言いさえすれば誰でも市政のあり方について真剣に考えている正義の味方になれる。



id:kmizusawaさんの前のエントリにもあったけど、今井紀明さんを批判する際にも「税金」という言葉が使われたり、トリノオリンピックの成績不振の際にも「税金」が持ち出されたり、何か「税金」って言葉を最近良く見かけるけど、これってid:kmizusawaさんが指摘されているとおりで、自分の個人的な憤懣や不快感を、義憤に変換していい気持ちになりたいという事なんだろうな。


中傷文書を公開する今井さんの行動に接したり、トリノオリンピックでのスノボ選手の態度を見たり、被爆者の政治的発言に接したりした時に、「自分の気に食わない」という個人的な不快感を持ったとしても、ただ「自分の気に食わない」からだけで文句を言うのは気が引ける。だから、「税金」が持ち出されてくるんだろう。


こうすれば、気兼ねなく今井さん達の悪口も言えるし、自分の不快感は個人的なものではなく、税金の無駄な使い方を憂慮するが故の義憤だと思うことができるし。一石二鳥。


本来は、今井さんの行動にしろ、スノボ選手の態度にしろ、僕達があーだこーだ言えた話ではないと思うんだよね。今井さんが反省していない様に見えたり、スノボ選手がちゃらちゃらしている様に見えても、それは個人の勝手だから。


だけど、「税金」を持ち出せば、「税金が使われているのに、その態度は何だ」と、税金を支払っている立場の者として文句をいうことができる。「個人の勝手」の領域に属する話を、批判したいがために持ち出される「税金」。本当に「税金」って便利な批判ツールだなあ。