歴史学の教授との世間話

昨日は、会社の人事関係の仕事で、母校の大学のゼミ(歴史学)の教授を訪問。教授は、小柄な初老の女性(今年度で退官とおっしゃていた)で、イギリス近代史が専門の方。


お互い知っている元教授が退官してから俗物化(昔の言葉で言えば「転向」?)したのではとか、色々話もしたけど、人事関係の仕事で行っている事もあり、学生の就職関係の話題がメインでした。


僕の学生だった時は、大学院に卒業生の3分の1程度行っていて、不景気で就職先がないからみんな大学院に行くのかなと思っていたのだけど、教授に聞くと、今でも3分の1程度が大学院に進学希望だとのこと。こんなに新卒採用が好調な時期なのにね。僕が在籍していた時から、就職に対して極めてローテンションな空気が漂う大学だったけど、今でもそれは変わっていないみたい。


一通り就職関係の話題が終わると、話の話題は歴史修正主義に。「つくる会史観の学生とか史学科に入ったりすることあるんですか?」とたずねたら、今まで何人かはそういう学生がいたとのこと。高校生の時につくる会的歴史に影響を受けて興味を持ち、歴史学を希望するパターン。


やっぱりそういう学生は教授達の方でも「どうしようか」という感じになるみたい。ただ、教授のゼミにも1名つくる会史観の学生(女性)がいたことがあるみたいだけど、分野が西洋史なのであまり問題にはならなかった模様。当たり前だけど、歴史修正主義の影響は日本史・東洋史の方が深刻みたいです。


また、一人、かなり凄く影響を受けている子が日本史のゼミにいたとも仰っていました。「大東亜戦争はアジア解放の戦争だった!」とか卒業論文で書いたのかと、興味津々で話の続きを聞いたら、卒論のテーマは担当の教授と相談した結果、「武士道」になったとのこと。


多分、担当教授の助言とかあったのだろうけど、上手いなあと感心しました。学生の国粋主義的感情を満足させ、なおかつまだ実証的な歴史学の手法と相容れることができる、ぎりぎりのラインって感じがします。おそらく、近現代史をテーマにしたら、その両者を相容れることは、とても無理だったのではないかと。まあ、テーマがモロに「国家の品格」なのはご愛嬌ですが。


僕は、つくる会史観の学生には好き勝手にやらせて、思いっきりゼミとか卒論試問で絞り上げて、あまりにも酷かったら単位やらなければいいじゃんとか思っていたのだけど、そういう訳にもいかないみたいですね。


教授曰く、担当だったつくる会史観の女の子に、2〜3回生の時に「どう?認識は変わった?」と聞いたら、回答は生返事だったとのこと。専門の学問を専攻しても、考えが変わらない人は変わらない。結局はその人次第なんだなということを、帰路の市バスの中で思っていました。