なぜ彼らはそんなに自信満々なのか

基本的な事実を無視して語られる南京事件 - Apeman’s diary

とにかく不思議で不思議でならないのは、これほどまでに基本的な事実についての知識を欠きながら、なにゆえあそこまで自信満々足りうるのか、である。



これは僕も不思議で、僕は南京事件について新書や概説書を一通り読んだぐらいで、専門の研究者でも何でもないから、南京事件については、歴史学では人数に諸説あるとは言え、一定程度の規模の人数(数万人〜十数万人程度)が犠牲になった残虐行為はあったのは通説になっているから、その通説を信頼するしかないわけだけど、否定論者の人って、専門的に研究しているわけではないのに、何であんなに自信満々なんでしょうね。


あと、「南京には20万人しかいなかった」とか「弾薬が足りなかった」とか、南京事件否定論の人達の論法は、確かに簡単で判りやすいけど、逆に言えば、専門にやっている歴史学者の人達が、長い間そんな簡単な事に気付かないでいたって目茶苦茶おかしくないかい?歴史学ってそんなに馬鹿学者ばっかの集まりなんでしょうか(そうだと言われたら元も子もありませんが…)。否定論の方がイージーな論法で否定しにかかる度に、いつも思うことなんですけどね。そんな簡単な事で引っくり返せる話なら、とうの昔に引っくり返されているよって。


僕の大学の日本史の退官した教授が、近現代史専門で、南京事件に係る日本軍部隊の史料集の作成にもたずさわっておられたのだけど、自信満々な否定論者を見ると、「それほど自信がおありなら、学者の前で主張されてはどうですか?南京事件も研究されていた専門の方を知っていますので、紹介しますよ。」と揶揄したくなってくるんだよね。


自分達のカジュアル否定論の軽さに自覚的であれば、その様なフォーマルな場は嫌がると思うんだけど、自覚的でなかったら、その教授に対して、「無知なあなたに説明しますが、証言は、それ自体に証拠能力はありません。証言=証拠と考えているなら、勉強しなおしてください。」と諭したりするのかな。それはそれで結構凄い光景かも。