介護施設への「出席」活動

昨日の産経記事の話の続き。下村議員の台詞。

高校卒業は3月だが、大学入学は9月にする。半年のブランクのうち3カ月間は、介護施設などで奉仕活動をしてもらい、その経験がなければ大学に入学させない。



つい最近に、安倍氏が同じ文脈の話で、「ボランティア活動の義務化」を言い出して、bewaadさんあたりが「義務だったらボランティアじゃないだろ。奉仕活動と言えばいいのに」と突っ込みを入れておられていたけど、これってもはや「奉仕」活動ですらないような気がしてきた。


奉仕って「利害を離れて」社会や国家に尽くすってことでしょ。それなのに、介護施設での活動を義務化、大学入学の要件化して、高校生達に利害(それも極めて大きな利害)を押付けるってどういうこっちゃ。この制度がもし導入されて、僕が高校生だったら、仕方ないから、介護施設で3カ月間過ごすよ。でもそれは、自分の「利害」の為だよね。そうしないと、大学に行けないから。


僕もあまり真面目でない大学生だった時、講義をサボり過ぎると教授が単位をくれなかったりしたから、ある程度の割合で講義に出席してたりしていたけど、その「単位を取る」ために講義に出席するのと、「大学に入学する」ために介護施設で活動するのと、基本的には一緒なんじゃないかと思う。これは介護施設での「奉仕」活動ではなくて、単なる介護施設への「出席」活動ですよ。施設の障害者や御老人の為ではなく、自分の為にやっているのに過ぎないのだもの。


下村議員達の言う「奉仕活動」を幾らしたところで、それが強制や、(押付けられた)自分の利害によるものである限り、彼達の期待する公共心が身に付くとはあまり思えないし、(本来自発的・利他的であるべき奉仕活動を、受動的・自利的に行わさせるのだから)教育上むしろ逆効果じゃないかと思ったりするのだけど、一体彼達はどういうつもりで主張しているのだろうか。まあ、義務とか徴農とかすぐ言い出すところを見ると、「公共心」自体も強制したい人達なんだろうとは思いますけどね。