『インド旅行』とボランティア

強制的にボランティア(語義矛盾) - Imaginary Lines

この提案に賛成する意見として主に二種類あったと思う。一つはピン子が主張する「最近の若者はマナーや道徳がなってないから、ボランティアで高齢者と接することで何かを学ぶべきだ」というようなもの、もう一つは松尾貴史なんかが言ってた「これからは高齢化で介護の担い手が必要になるから」というようなもの(うろ覚えなので多少間違ってるかもしれません)。



僕自身が、「今の若者ってそんなに酷いか?」と疑問に思っていたりしている方なので、よくわからない部分があるけど、結局は泉ピン子さん的思考に尽きるんでしょうね。今の若者の振舞いに不快な人達が、若者を変えさせたくて、変わってくれそうな場所としてイメージで「ボランティア」や「農業」が選ばれると。


僕も、もう少し若くて、まだ自分に悩みとか持っていた頃、インドに数ヶ月旅行に行きたいと思っていて、それは「インドに行けば、何か自分が変わる」という安直なイメージと期待があったからだけど、結局はそれと同じものなのかなと思います。「ボランティアや農業をすれば、何か若者が変わる」という安直なイメージと期待。


後、id:kmizusawaさんが書かれていたことにも通じるのだけど、義務によって得られた体験ってそんなに肯定的な効果をもたらすのかとも思うんですよ。義務でやりたくも無い事をさせられるというのは、基本的に嫌な思い出になることが多いですよね。高校生の時に夏休みに無茶苦茶な量の宿題を押付けられたのも嫌な思い出だし、冬にマラソン大会を走らされたのも嫌な思い出。


介護体験を強制的に押付けて「嫌な思い出」を作らせるのって、果たしてどれほど効果的なのかと僕は思います。不本意な形で介護体験に関わらせたばっかりに、「結果的にその職業のイメージを下げ」させたり、ボランティアに対する否定的なイメージを抱かせたりすることになって、むしろ逆効果なんじゃないかと。やらない方がまだマシの様な気もします。


ボランティア強制論者って「強制的に体験させることによって、公共心や道徳心が身につく」と基本的に思っていて、そこのところが、僕にはあまりすっきりと納得できないです。強制させた公共心や道徳(的なふるまい)なんて、強制がなくなればすぐ無くなってしまう様な気がするんですけどね。