心を鍛える大人の便器磨きトレーニング

美しい人づくりの例 - 今日行く審議会@はてな

kmizusawa 『こんにちわ。トイレ掃除を「汚くて嫌なことをわざわざやるのは尊い」的にむやみに美化するのって、トイレ掃除やそれに従事している人への蔑視の裏返しだと思うんですよね。こんなことしてる暇があるなら、清掃業従事者の大変さ(低賃金で重労働。中高年のおばちゃんも多い)に思いをはせろと言いたい。』



僕が小学生だった時に父が死んで、その後専業主婦をしていて職業能力も何もなかった母が就いたのが清掃業だったんですね。給料も安かったです。僕の初任給よりだいぶ安かったなあ。フルに働いて10万円台半ばぐらいだったかな。「低賃金で重労働、中高年のおばちゃん」は僕の母でした。


なので、kmizusawaさんの「清掃業従事者の大変さに思いをはせろと言いたい。」という発言には少し同意したくもなってきます。このトイレ掃除運動は、「気づく人になれる」「感謝の心が芽生える」ことを目的としているらしいので、清掃業従事者の存在に気付いて、感謝の気持ちを持つということも当然射程範囲の中におそらく入っているとは思うのですが。


kaikai00さん紹介の新聞記事を読んで、僕も「素手・素足」というのに驚きましたけど、掃除運動というより精神修養運動みたいなものだから、ある意味当然なのかもしれませんね。「人が嫌がるトイレ掃除をすることによって心を磨く」という運動だから、あえてトイレ掃除の「嫌さ」の負荷をあげるために素手・素足ですると。後、気の問題として、手袋越しでなく直接手で便器を磨いた方が「心が磨かれた」気になれるんでしょうね。


学校教育で導入されるべきかどうかは別の話だと思うし、僕はあまり参加するつもりも無いけど、この運動を通じて心が磨かれたり、謙虚になれた人がいるのであれば、それはそれでいい事だと思います。でも、この話を知った時に、最近流行りのゲーム名をもじって、「株式会社イエローハット創業者鍵山秀三郎監修 心を鍛える大人の便器磨きトレーニング」って題名がふと頭に浮かんでしまいました。「脳トレ」ならぬ「心トレ」。む、実は、続編の「もっと心トレ」が学校教育必修化バージョンだったりするんじゃなかろうか…。


でも、kaikai00さんも言われていますけど、取扱説明書(掃除に学ぶ会 公式サイト)には、「トレーニングのし過ぎには気をつけましょう。感染症の危険があります。」の注意書きはしといた方がいいですよね!やっぱり。