「質問者ゼロでは困る」

タウンミーティングのやらせ問題について。
内閣府「やらせFAX」の全文を読む - 保坂展人のどこどこ日記
http://d.hatena.ne.jp/sava95/20061103/p2


八戸タウンM質問誘導疑惑で波紋/Web東奥・ニュース

内閣府と県教委は「質問者ゼロでは困るので、PTA関係者に発言を依頼した。質問文案は、発言の参考として内閣府が作ったが、誘導の意図はない」と説明する。質問文案は三パターンあり、いずれも改正案を支持する内容。当日は、一部質問者の発言が当該文案に酷似していたとの指摘もあり、国会では野党が共闘して政府の責任を追及する事態になっている。



僕も役所勤めなので、他人事ではないのですが、この「質問者ゼロでは困る」という台詞がいかにも「役人意識」っぽい感じなので、ちょっと突っ込みを入れたくなりました。そもそも教育改革という、こんなホットな話題で本当に質問者ゼロになると思っていたのかよという突っ込みがまず入るかもしれませんが。


ただ、この「質問者ゼロでは困る」という心配は、僕も企業向けの講演をお願いする仕事をした事があるので、気持ちは判る部分があります。著名な方に講演をお願いした場合とか、特にそうですが、講演が終わった後に質問が出てこないと、折角講演頂いたのに失礼かなと思ったりするんですよね。講演された方への礼儀として、「質問者ゼロでは困る」という様な意識は、僕も持った事がありました。


そういう言い方をすれば、「大臣・副大臣やゲストの人達に来てもらっているのに、質問が出ないのは困るし、失礼」という事になるのかもしれませんが、そういった講演とこのタウンミーティングって意味合いや位置づけが全然違いますよね(当たり前ですが)。


タウンミーティングは、国民・市民の声を直接聞く、「国民と双方向で意見交換できる大切な場」と安倍首相も言ってましたが、もし本当にそうであるとするなら、質問者ゼロなら質問者ゼロで、それも一つの国民・市民の声なのだから、それを粛々と受け止めて、反省するなり、今後の対話の参考にしたりするべきだと思います。会は円滑に進まないのかもしれませんが、だからといって「国民との双方向の意見交換」を偽装したらあかんでしょ。更に自分達にとって都合のいい質問をさせるなんてもってのほかですがな。


この様なミーティングやパブリックコメントに代表される、市民の政治・行政への参加の取り組みについては、国でも地方自治体でも、最近色々と行われていますが(参画という言葉が多用されたり)、早速形骸化しているというか、「市民が参加した」という形(事実)だけ作っておけばいいという意識が既に出始めている気がします。そういった意識が「質問者ゼロでは困る」という、まず会の円滑な執行(という形)を重視する言い訳にも出てしまっている様な。自分自身への反省を含め、そんな事をつらつらと考えていました。