校長先生の自殺とマル激の感想

校長先生の自殺について

asahi.com:「いじめ隠し」発覚の小学校長が自殺 北九州 - 社会


最近相次ぐ校長先生の自殺。


僕が取っている新聞で、昨日のコラムに、この事件に関連して、「命の大切さを説く役割の校長が自殺してはどうにもならない」と書かれてあった。これに限らず、「子供に辛いことがあったら、自殺すればいいと教えているようなものだ」とか、その手の意見は結構よく見かけるのだけど、僕はそういう意見に接すると、何か少しすっきりしない気持ちが残ってしまう。


すっきりしないというよりも、教師という職業の人は、「死」においてすらも、「子供への教育・影響」という観点から、批判や非難をされる存在だということに改めて気付かされて、少し愕然としたというか。僕は、そこまで子供に対する熱意を持てないから、とても教師にはなれないし、ならなくて正解だったのかなと思った。

マル激の感想

http://www.videonews.com/on-demand/291300/000928.php

また、現在のいじめ問題がより緊急の課題となっているとの立場から、短期的には、暴力的ないじめに対しては警察や裁判所の介入によっていかなる理由があろうとも暴力は許されないという市民社会では当たり前の基準を学校でも徹底すること、40人ほどの他人を無理矢理同じ部屋に閉じこめて1日中一緒に過ごさせる現在の学級制度を廃止し、(中略)色々なタイプの人とつきあえるような柔軟な制度に変えることが必要と主張する。



今週のマル激は内藤朝雄さんがゲスト。この学級制度を廃止するのは、確かに妙案だなあと思った。


番組中でも大学が例に出されていたけど、確かに一番対人関係が気楽だったのは大学の時だったな。強制的に作らされる人間関係も少なかったし、嫌な奴とはなるべくつきあわないで済んだし、バイトとか他の人間関係もあったし。社会人になってしまうと、嫌な人がいても、仕事の為に付き合わざるを得なくなるから、「大学の時は、嫌な奴とは距離を置く事ができたからよかったなあ」と何回も懐かしく思った。


中学校とかも、大学みたいに「軽く」なったらいいのに。いじめ問題に限らず、僕は気楽なもの、気軽なものが好きなので、結構本気でそう思う。


でも、この内藤さんの「警察を入れろ」というのと「クラスを廃止せよ」という主張って、左右どちらの陣営からも評判が悪そうな意見かもと聞いてて思った。なんか、警察を入れるというのには、左側の人が「教育に警察権力が関与するな」と抗議して、クラスを廃止するというのには、右側の人が「悪しき個人主義が更に蔓延する」とか文句を言いだしそう。現時点では、結構非現実な意見と思われそうな感じもしますしね。