便法としての批判

ブクマコメントやブログの記事で、人の文章を以前に批判していた方が、その批判していた対象と全く同じ様な文章を、自らのブログで最近書かれているのを見かけて、思わず少し驚いてしまったことがありました。


もちろん、自覚的であれば、その様な書き方はされなかったでしょうから、その方は、おそらく自分が書いた様な文章を、自分自身が過去に批判していたことについて無自覚なのだろうと思いますが、僕も含めて、ブログで文章を書いていると、ついやってしまいがちな事だとも思います。


似たような話で、前にdoxさんのブログで、中国の知的財産権の侵害を問題視しておきながら、ソフトのコピーをお願いするお知り合いのお話を読んだことがあります。


この様な、一見ダブスタな行動をとってしまうのは、その批判が、本人の信条によるものというよりも、他人や他国を批判したいというのがまずあって、批判するために持ち出してきた便法に過ぎないからなんだろうと思ったりします。信条として批判するのではなくて、便法として批判する。


知的財産権の例について言えば、おそらくdoxさんのお知り合いの方は、それほど知的財産権保護に対する信条を持っておられていたわけではないのではないでしょうか。ただ、中国を批判するのに便利な理由だから、その中国批判の文脈の中で、その場だけ知的財産権を問題視されていただけなので、その文脈から離れたところでは、知的財産権に対する関心もあまりなく、ふと無自覚に自分が批判していたのと同様の行動をしてしまうということなのだろうと思います。


もちろん、その批判が適切であったりすることもあるので、一概に便法として批判することは良くないことだとは言えないと思うのですが、無自覚にダブスタを演じてしまい、それを暴かれてしまうのも嫌ですしね。特に、僕の様な社会ネタをよく書く場合は、言いっ放しにならないように、気をつけた方がいいのかもしれません。