否定論の説得力

南京事件否定論などが持つ説得力について。
視点・論点「まん延するニセ歴史学」 - Apeman’s diaryid:sunafukin99さんのコメント。

詐欺商法もカルト宗教もそうですが、はじめから怪しいと思わせたら負けなわけでしてw。話を聞いてるといかにももっともらしく聞こえてくるので、余程「修練」積んだ人でないとコロッと逝ってしまう可能性も大です。そこんところ大事で、簡単には騙されない『合理的な思考のプロセス』を身に着けてる人っていうのはやはり少数派というのが悩ましいところです。



前にも書いたことがあるのですが、僕は高校生の頃に落合信彦の「20世紀最後の真実」を読んで、一時「ホロコーストはなかったのか」と真に受けていた(コロッと逝ってしまっていた)時期がありました。


「南京事件はウソだ!」さんのページを読んでも、結構多くの(18もの)根拠が挙げられているし、証言とか資料とか持ち出して、結構もっともらしく見えますよね。落合信彦にすら騙されていた高校生の頃の僕が読んでたら、引っ掛かっていたかもしれないなあ。


比べる対象が南京事件否定論と肯定論(否定論に対する反論)であれば、「南京の人口が20万人しかいなかった」という例の主張のネタも割れたりして、否定論の説得力も大分無くなるのでしょうけど、カジュアルな層の人達だと、比べる対象が教科書の1〜2行と南京事件否定論になりますし、その比較でいうと、色々引用とかがされている否定論の方が説得力がある様に見えるんでしょうね。僕も思い返してみて、ホロコースト否定論を真に受けてしまったのは、おそらくその辺りが理由なんじゃないかと思ったりしています。


僕の場合は、落合信彦とかに騙されなくなった理由というのは、「修練」と言えるかどうかは別として、実は彼は世間的に胡散臭い作家であることに気付いたというのが第一かなあ。あまり自分でも「合理性な思考」が身に付いたようにも思えませんし。


僕の場合は、疑似科学にしろ歴史修正主義にしろ、そういったものをあまり真に受けなくなったのは、「絶対儲かる」という詐欺商法のセールスに対する姿勢と同じで、そういったものは「胡散臭い」と知って、そういう前提で話を聞く様になったからという部分が大きいのかなと思います。だから、(胡散臭いと思われないように)場所やタイミングを上手く操作されて、上手いセールストークをされたら、また引っ掛かってしまうかもしれません。絶対引っ掛からないという自信はちょっとないですね。