1日で死ぬのは果報者?

ある年代以上の人にとって、この考えはしょうがないのか… - とほほな毎日

夫に先立たれた親戚の老婦人に関して
「だんなさんが長患いすることなく、たった1日で逝かれたのは果報者だ、とみんな(みんなって誰?)が言っている」という義母の言葉に対し義父はキッパリと
「それは、違う。だんなの世話をしないですんだということは、やるべきことの機会を逸した、つまりそれは業というべきで、ありがたいことではない」と、言いはなった。



「介護は業だ」と仰られたid:appuappuさんのお義父さんの話が、記事の話題の中心なんですが、お義母さんの「たった1日で逝かれたのは果報者だ」という言葉の方が、読んでて記憶に残りました。これは僕の母も時々言いますね。「死ぬんだったら、迷惑をかけたくないから病気になってからすぐに死にたい」とか。その度毎に「そんな言い方せんといて」と言い返していますが。


妻に聞いたら、妻の御両親も似た様なことをおっしゃることがあるようで、またお葬式に参列した時にも、参列者の間でこの様な趣旨の話をされているのを聞いたような記憶があります。id:appuappuさんの記事を読んで、ふと周りを思い返してみれば、結構皆さん同じ様なことを言っている事に気付きました。何か「急死することが良い死に方だ」というのが、ある程度、現代の共通の考え方になっている様な感じが。


ブログに書くにあたって、自分はどうなんだろうかと考えたんですが、病の苦痛とか、介護の問題とか色々あるんでしょうけど、「急死することが良い死に方だ」という考え方には何か釈然としないところがあります。妻とも「最後まで面倒を見るつもりだから、ポックリ死にたいとか思って欲しくないよね」とか会話を交わしたりしているのですが、ただそれは今は自分が「残される」側の立場でものを考えているからなのかも。年老いて死が間近になった時には、考えが変わってくるのかもしれないな…。