個人的意見と批判について云々

http://d.hatena.ne.jp/good2nd/20071122/1195745048

ときどき「あくまで個人的見解ですけどね」とか言って批判をかわそうとする人がいますが、個人が個人の資格で書いてるのはわかってるんだから、そりゃ「個人的見解」に決まってるわけです。そんなのわかりきってるんですよね。

でも、個人的見解だから批判を拒む、という姿勢よりは、自分が正面から向きあうことは稀だけど(弱い)、批判そのものは誰でも好きなだけすればいい、という姿勢のほうが、自分としては誠実なつもりなんですよ。一応。



うーん、僕も、「個人的には」という言葉をよく使うことがあるので心苦しい。僕の場合はどちらかというと、人に自分の意見を押し付けたくないからという理由で、「個人的には」という言葉を使う事が(自分では)多いつもりですが。


あらゆる意見には批判される筋合いがあるというのはその通りで、「私的」な意見が、もし批判が軽減されるとするならば、それは、上にも書いた様な、押し付け的・一般論的な色彩が少なくなるからだと思うわけです。例えば、(トイレ)掃除に学ぶ会の例で言うなら、「個人的には子供に素手でトイレを洗わせた方が良いと思う」という意見なら、「個人的には」という留保をつけている分、「教育のために子供に素手でのトイレ掃除を行うべきだ」という様な意見より、ある程度は批判も減るでしょう。
僕も前者の意見には、「個人的にそうお思いなら貴方の子供にはそうさせてあげて下さい」という感想を持つかもしれませんが、後者だと「それは勘弁してくれ」と思います。


今回の話でいうと、当初のコメントが予め「個人的な意見」という留保がついた内容だったら、まだ、批判の程度も少なかった様にも思います。でも、「貧乏な人は子供を持つな」という意見自体、前の段落でいうと後者に近い言い方で、他者の方(貧乏な人)にあれこれ言っているわけですからね。「私的」意見だとしても、他者の方にあれこれ言われるのは、少しは仕方ないと思ったりします。完全なエクスキューズにはならない。


僕も揉め事になるのが嫌なので、批判は基本的にスルーしたい人間だけど、批判されるのはそりゃ気分が良くないのはわかります。だから、あまり個人ブロガー等に対する直接的な罵倒や批判は、僕も最近あまりしない様にはしているけど(貫徹できているとはとても言いません)、だからと言って、例えばつくる会保守の面々をネタにした記事を書けば、つくる会の信奉者の人達が気分を害されるのは当然の事で、ある程度社会的な事を書く以上、それと同等程度に批判を受けたり嫌われたりするのは止むを得ない事だとは思います。


…と言いつつも、僕も揉め事が嫌いだから、ブログ永世中立国制度みたいなものがあればいいのにとも時々思いますけどね。僕は特定の個人ブロガーを中傷・罵倒しないから、代わりに中傷・罵倒をしないでくれという。他者からの言われなき人間性批判に嫌気がさしたという理由で、id:kmizusawaさんがブログを中断された時、本当にそういう制度があればいいのにと思ったなあ。