「南京事件論争史」読了

笠原十九司さんの南京事件論争史を読みましたのでその感想とか。笠原さんの本は「南京事件」「現代歴史学南京事件」に次いで3冊目です。



id:Dr-Setonさんのエントリを前に読ませて頂いていた事もあってか、特に笠原さんが以下の様に書かれていた部分が印象的でした。

南京事件の有無をめぐる本質的な問題ではないにもかかわらず、その新たな論点を批判しないと史実派も認めたと彼らは宣伝する。そして南京事件の事実そのものが否定されたように主張するので、私たちもやむなく新たな否定論を批判する。(p250)

私自身、この間、南京事件否定説を批判する論文や本をずいぶん書いてきた。それは、つぎつぎと発表、公刊される否定説本に批判を加えないと、「南京大虐殺派が否定できないのは事実と認めたからである」ということになり、否定派の「ウソ」が罷り通ることが懸念されたからである。(p271)



否定論者の相手をすれば、学問的に論争の余地がある様に思わせ、結局は「どっちもどっち」的な泥試合に巻き込まれるかもしれない。しかしながら、論争する価値がないと放っておけば、「反論できないから、大虐殺派は黙っているのだ」と勝手に勝利宣言されてしまうと。


何か、ライオンと決闘しようとしたドン・キホーテの話の様でもあるし、ブログのコメント欄や掲示板でよく見かける様な光景でもあります。でもブログのコメント欄であれば、放っておいてそれでも良いのかもしれないけれど、この場合にはなかなかそうも言いきれないのは、例えば、一部の政治家の人達とかが、その様な反論をしない状況を、(教科書検定やNHKへの口出しなどの例を出すまでもなく)どういう風に都合よく利用するかわかったものじゃないわけで。僕も、もう歴史修正主義者の人達を批判しても、無駄でどうしようもないのは判り切っているんだから、放っておけばいいのにという感想を持つ事もありますが、でも笠原さんの立場にしてみれば、不毛とは言え、やはり否定論批判にコミットするしかないのでしょうね。まだその方が幾分ましだと。


南京事件論争史」をまず読んだ時の第一感想でもあったのですが、笠原さんとか林博史さんとか、雑音が多い分野を、歴史学の研究テーマに選ばれた人は本当に大変ですね…。改めてそう思います。