青少年健全育成のための断続攻撃

http://mainichi.jp/area/tokyo/news/20101204ddlk13010267000c.html

石原慎太郎知事は「子供だけじゃなくて、テレビなんかにも同性愛者が平気で出るでしょ。日本は野放図になり過ぎている。使命感を持ってやります」と応じた。



青少年の教育、特に健全育成においては、「子供達にとって有害なものを排除する」というのが大きな動きとしてあるわけですが、特に都政においては、前々からその「有害なものとみなされた」ものに厳しく攻撃がされてきました。国に誇りが持てない有害な「自虐史観」が攻撃され、卒業式で君が代を演奏しない有害な「左派教師」が攻撃され、養護学校で実施された過激で有害な「性教育」が攻撃され、そして今回は氾濫する有害な「性表現」が攻撃されていると。


都知事の様な政治的立場の人達の性的なものへの態度を見ていれば、その「使命感」に基づく攻撃がいずれ「性表現」にも向かうのは当然の帰結だった様にも思います。ニーメラーさんの例でいうと、最初の攻撃ではなくて、もう数回目の攻撃なんですね。


そして彼達の「教育」「健全育成」欲望の強さは、今までの例を見ても一目瞭然ですから、青少年健全育成条例の改正はどれだけネットで反対者が声を上げても、意に介せずいずれは改正に持ち込まれる様な気がします。この程度の反対が功を奏するのなら、それ以前の段階で攻撃が止まっていた筈です。彼が知事である限り、青少年健全育成のための断続攻撃が止む事はないでしょう。上の発言はその攻撃の次の対象が示唆された発言とも言えるのかもしれません。


しかし、今までの攻撃は「サヨク」攻撃でもありましたから、今回反対の声を挙げている人で、今までの「サヨク」攻撃には賛成していた人も結構いるんでしょうね。実はそれが「サヨク」攻撃ではなかった事に気付いた時には遅かったと。皮肉な話と言えば皮肉な話なのですが。