地方首長の「改革」ライフハック

はてなブックマーク - asahi.com(朝日新聞社):竹原氏「市職員たちが勝った」 阿久根市長選落選 - 政治

Gl17 最近はもう、公務員を敵視さえすれば、どんなデタラメでも通るんだな、という印象を新たにせざるを得ない。(新市長も似たような公約だし)



新市長も似た様な公約を挙げているとの事ですが、人件費削減や職員数削減という事であれば、その様な「改革」はわざわざ公約や争点にするでもなく、既に殆どの自治体で実施されてきていると言って良いでしょう。
例えば京都府は職員の総人件費を12.5%削減する給与費プログラムを実施しましたし、兵庫県でも人件費2700億円の削減を目指した新行財政構造改革推進方策(新行革プラン)の取り組みを進めています。また、地方自治体の職員数は年1〜2%弱程度のペースで継続して減少している状況です。


しかしながら、では上記に挙げた京都府の山田知事や兵庫県の井戸知事が、改革に取り組んでいると世間一般に高く評価されているかと言えばそうではありません。京都府の財政指標は他府県に比べても良好ですし、兵庫県は震災後の復興事業による財政難のため、かなり大規模な歳出削減に取り組んでいますが、その様な結果だけでは改革に取り組んでいるとは思われない様です。


一方で、阿久根市の前市長やいくつかの知事や市長が、改革者であるとそれなりに高く評価されたりしているのを見ると、現在の地方自治における「改革」は実際にどの様な成果を得たかどうかではなくて、公務員達や議員達を攻撃しているかどうかで判断されているのではないかという思いを持たざるを得ません。その某知事や某市長達を見る限り、山田知事や井戸知事に比べて、行政手腕は相当に劣っている様に思うのですが、他の仕事がどれだけ稚拙であっても、公務員達を攻撃すればそれだけで改革と評価される地方首長の「改革」ライフハック


このライフハックを使用する人達は、国政含めて今後も出てくるのでしょうが、ある意味有権者も舐められていると思うんですけどね。「他に何もしなくても奴らを攻撃しておけば支持してくれるだろう」と。某知事や某市長がどの程度意識的にやってるのかは本人でないのでわかりませんが、ある程度はわかっててその様に振る舞っているんじゃないかと思います。

大阪府の自治制度研究会の最終案の件

http://sankei.jp.msn.com/politics/local/101224/lcl1012241425002-n1.htm

大阪都構想」について府の自治制度研究会が「導入は困難」としたことについて、「府の一研究機関が政治団体に間違ったコメントをするのはやってはいけないこと」と述べ、知事の立場で研究会に抗議する考えを示した。



@nobuyuki537さんのツイートで知った第1回目の本研究会における知事の挨拶。
第1回 大阪府自治制度研究会 議事録

というのが、僕のなんとなくの念頭においている都市のあり方なんですけども、ただこういう考え方が良いか悪いかを先生方に色々議論していただいて、あるべき姿を追求していただきたいなと思います。

先生方へのお願いはですね、とにかくあるべき姿を追求していただきたく思います。大阪市との関係は一切考えていただかなくて結構ですので(後略)

今日、お集まりいただいた委員の先生方は、日本の中でも著名な大先生方でありますので、(中略)あるべき姿、どういう都市を目指していくのか、どういう日本を目指していくのか議論がまったくなされていませんので、先生方におまとめて頂いたその制度、モデルをですね、僕が地域主権戦略会議に中に発信していってですね、そこから国のあるべき姿を作っていきたいと思っております。



橋下知事に言動の一貫性や誠実な態度を期待するだけ無駄なのかもしれませんが、委員の先生方に「自分の考え方が良いか悪いかも含めて、とにかくあるべき姿を追求して欲しい、そのモデルを地域主権戦略会議に発信する」と言っておいて、議論の結果、自分の考え方が悪いと判断され、自分の政治的意図と異なる「あるべき姿」が出てきたら、知事の立場で研究会に抗議するとは、これ以上ない手のひら返しですね。地域主権戦略会議に発信するんじゃなかったのかよ。意見を言わせるだけ言わせて、気に入らなければ後で攻撃、という展開が何処か中国の百花斉放百家争鳴を思わせます。(大阪都構想も段々大阪版大躍進政策化しつつある様な気がしますが。)


同志社大の新川教授はじめ、著名な先生に委員になって頂いたみたいですが、こんな調子が続けば、誰も大阪府の委員会や審議会の委員になりたがらなくなって、人集めに苦労するのではないかと、人ごとながら心配してしまいます。というか、他の都道府県もこうだと思われるとこっちも迷惑するのですが。

「平成の坂本龍馬」橋下知事

http://www.asahi.com/politics/update/1220/NGY201012200041.html

自らも地域政党減税日本」を率いる河村市長は「(愛知と大阪は)平成の薩長同盟だ」と気勢を上げ、橋下知事も「我々の理念は全く一緒だ」と連携をアピールした。



ブクマコメントも指摘されているとおり、政治家の「幕末の志士」気取りは確かに食傷気味なのですが、僕は橋下知事は「平成の坂本龍馬」だと個人的に思っています。
…といっても、実像(実際の業績)に比して過大評価されている様に思われる点においてですが。


一般的に坂本龍馬を評価する人は、司馬遼太郎の小説における虚像の坂本龍馬を実像だと思い評価してしまっているわけですが、橋下知事の場合はその司馬遼太郎の小説の役割を、例の「予算黒字化」の報道が果たしている様に思っています。地方自治体においては、借金も予算上の収入に含まれるため、予算の黒字・赤字に殆ど意味はないわけですが、一般の方はその様な会計の仕組みは分かりませんから、家計と同じ様に考えて「黒字になった」という情報だけで、さも大阪府財政問題が解決し、彼に実行力があるかの様に思ってしまう。業績にならないことを業績として評価してしまっているわけです。


一方で、その評価と異なる否定的な情報も存在するのですが、その様な情報、例えば、府債の「総額」が増えていること、府の財政指標が悪化していることについては、歴史的事実としての坂本龍馬の情報と同じく、情報としてあまり流通していません(良い数字が出ていたら橋下知事が大々的にアピールした結果、情報として流通していたのかもしれませんが)。相当程度能動的に動かないと得られない情報です。しかしながら、大抵の人は関心はあっても、そこまで能動的に調べることはありません。その結果、否定的な情報を知る事なく、誤解を含んだ彼の業績に対する評価を維持し続けてしまう。


(それを事実だと思うと誤解する)肯定的な情報が大きく流通し、逆に否定的な情報は殆ど流通していない状況下で、その人への過大評価(神話)が発生する。毎日新聞でアンケートをとったら橋下知事が最も坂本龍馬のイメージに最も近い政治家の1位だったという記事が前にありましたが、僕も違う意味において、橋下知事坂本龍馬のイメージに最も近い政治家なのではないかと思うのです。

ニーメラーさんの皮肉

鏡の中の石原慎太郎 - シートン俗物記

この詩において、「規制反対派」は自分たちを詩の中の“共産主義者”、つまり最初の被迫害者に擬えているようだ。つまり、「他人事だと思うなよ。自分たちだってそうなるぞ」と。
しかしだね。実際には、「規制反対派」は“私”、に擬えられる存在なんだわ。
もう既に石原慎太郎によって攻撃された人々はいるのだから。



ニーメラーさんの詩が持ち出される時、多くの場合は自分を最初に攻撃された「共産主義者」だと見なしているわけですが、詩に出てくる「ナチ党」の様な存在は攻撃が大好きな人達ですから、大抵は既に今までにも他者を攻撃してきています。石原都知事の例で言えば、彼の都政の教育・青少年施策に限定しても、養護学校における性教育君が代を演奏しない教師等、攻撃の実例を挙げる事ができますし、限定しなければ更に多くの実例を挙げる事ができるでしょう。


その様に他者が攻撃されてきた中で、自分を最初に攻撃された「共産主義者」として、ニーメラーさんの詩を引用すること、そのことが、自分がそれまでの「ナチ党」の他者への攻撃に無関心で、何もしなかった「私」であったことを告白してしまうという、皮肉な状況がある様に思いました。ニーメラーさんの詩を引用することで、ニーメラーさんの詩を完成させてしまう。


ニーメラーさんの詩をオリジナルの「私」の後悔の文脈以外で使うとするなら、自分が他人のために動くことの理由(「私」が「共産主義者」のために動く理由)として使いたいと個人的には思います。他人が自分のために動くことを要求するためではなく。

都の少年課副参事の「成果」

東京都青少年健全育成条例。推進派への疑問 : 空の森

参事は幼女の写真集とDVDを数点、どう見ても通常の書店のコミックスの棚には並ばない18禁コミックスを数冊を「おかあさんたちはこのような恐ろしいものが、普通の本屋で、子供たちの手に届く形でおいている事を知らないので、こうして持ってきているんです」と言いながら、約50人近くの父兄(PTAなのでほとんどが母親)に、回覧させはしめたのです。



東京都の青少年健全育成条例の改正に絡んで、都の少年課副参事がPTAの会合で父兄の方々を煽って不安にさせているとの事で、この記事が本当なら、こういう仕事の仕方には嫌悪感を抱きますし、酷い話だなと思います。同じ地方公務員として、統計等の情報や状況説明を丁寧に提供した上で、改正の可否について住民の方々に判断して頂くべきであり、特定の印象を押し付ける様な説明の仕方はおかしいと考えますので。


しかしながら、僕の考え方は古い、「お役所仕事」的な考え方なのかもしれません。最近の行政や公務員の仕事に対しては「成果主義」や「生産性」の重要性がよく叫ばれます。ノルマがなく非生産的な公務員、というのは、公務員批判の定番と言ってもよいぐらいです。


その様な「成果主義」や「生産性」の観点から言えば、本副参事の仕事は逆に評価に値すると言えるのかもしれません。本条例の改正は都の中でもかなり重要な政策と思われますが、条例の改正への賛同を調達するという点では、酷い部分を殊更に強調する彼の仕事は「生産性」の高い「成果」をあげているように見えます。目的を達成するための営業トークとしては優秀です。僕の様に住民に出来る限り多くの情報を提供して、時間を取って判断して頂いて…という様な仕事の考え方では、時間がかかって非効率ですし、何より条例改正に賛同して頂くという「成果」を得られるかどうかわかりません。


成果主義導入の流れを受けて、東京都にも業績評価制度や自己申告制度があって、(どの程度反映しているかは分からないですが、)その評価が人事考課や昇給に影響しているようです。僕の勤め先にも似た様な自己申告制度がありますが、本条例が改正に至った後、当の副参事は、条例改正のための住民の賛同を得たことを自らの成果として申告し、当局側の方もそれを業績として評価するのではないかと思います。自分の経験上、多分その可能性は高いと思うのですが、人の権利や人生に影響を与える物事が「成果」として処理されることに、個人的に抵抗感を覚えます。これも僕の古い「お役所仕事」の体質によるものなのかもしれないのですが。

青少年健全育成のための断続攻撃

http://mainichi.jp/area/tokyo/news/20101204ddlk13010267000c.html

石原慎太郎知事は「子供だけじゃなくて、テレビなんかにも同性愛者が平気で出るでしょ。日本は野放図になり過ぎている。使命感を持ってやります」と応じた。



青少年の教育、特に健全育成においては、「子供達にとって有害なものを排除する」というのが大きな動きとしてあるわけですが、特に都政においては、前々からその「有害なものとみなされた」ものに厳しく攻撃がされてきました。国に誇りが持てない有害な「自虐史観」が攻撃され、卒業式で君が代を演奏しない有害な「左派教師」が攻撃され、養護学校で実施された過激で有害な「性教育」が攻撃され、そして今回は氾濫する有害な「性表現」が攻撃されていると。


都知事の様な政治的立場の人達の性的なものへの態度を見ていれば、その「使命感」に基づく攻撃がいずれ「性表現」にも向かうのは当然の帰結だった様にも思います。ニーメラーさんの例でいうと、最初の攻撃ではなくて、もう数回目の攻撃なんですね。


そして彼達の「教育」「健全育成」欲望の強さは、今までの例を見ても一目瞭然ですから、青少年健全育成条例の改正はどれだけネットで反対者が声を上げても、意に介せずいずれは改正に持ち込まれる様な気がします。この程度の反対が功を奏するのなら、それ以前の段階で攻撃が止まっていた筈です。彼が知事である限り、青少年健全育成のための断続攻撃が止む事はないでしょう。上の発言はその攻撃の次の対象が示唆された発言とも言えるのかもしれません。


しかし、今までの攻撃は「サヨク」攻撃でもありましたから、今回反対の声を挙げている人で、今までの「サヨク」攻撃には賛成していた人も結構いるんでしょうね。実はそれが「サヨク」攻撃ではなかった事に気付いた時には遅かったと。皮肉な話と言えば皮肉な話なのですが。

「何故それに対して反応するのか」論

ただ、恥ずかしい - 美徳の不幸 part 2
上記のコメント欄に自己省察できていない人が。

私がこれほどまでに反応するのは、先生がなぜこういう話題のみは逃さずに書くのかがそれこそ自己省察しても分からない、というか、先生の御考えを知りたいから質問をしているのです。



世の中の物事に全てに言及できる人間なんておらず、言及することと言及しないことがある事は当たり前の話なのに、「何故それに対してのみ反応するのか」論を使う人って、世の中の全ての人達にその様な問いを発しているわけでもないのに、「何故かこの場合においてのみ、その様な問いを発する」自分を省みる事をしないですよね。id:t-kawaseさんが仰る「自己省察」とはそういう意味だと思うのですが。


私が知りたいから=個人的な関心があるから質問していると言うのであれば、相手も個人的な関心があるからその物事に言及しているだけの話で、別に問わなくてもわかる話だと思うのですけれど。もっともこの種の問いを発する人は、相手が「個人的な関心があるから」と丁寧に答えても、納得する事はしないのでしょうが。